『"無い"ことを楽しむ』〜身体中で喋るパントマイム〜
出典:電通報「文化欄」(2007/7/9号掲載)
パントマイムは、どこの言葉でしょうか
「パントマイム」という言葉、一体どこの国の言葉でしょうか、皆さん想像して下さい。ヒント、英語ではありません。
ショーの始めにこんな問いかけをすると、実に面白い反応が返ってくる。上野公園でよく見るから日本語、と答える子ども。映画「天井桟敷の人々」やマルセル・マルソー氏(フランス近代パントマイムの始祖)を知る世代はフランス語。全く見たことはないが、その語感から想像力を膨らませ、イタリア語と惜しい答えを出す人。この時点で、観客のパントマイム体験は始まっている。窓拭きやロープの芸がパントマイムである、といった既成概念を一度払拭する狙いもあり、便利な問いである。
パントマイム(PANTOMIME)のパントはギリシャ語で「あらゆるもの」の意味。マイムはミモスというギリシャ語が変化して生まれた言葉で「ものまね」の意味。ちなみに同業者で使われている「パントマイマー(パントマイムの役者)」は日本でしか通じない言葉で、正式にはマイムアクターやマイムアーティストと呼ぶ。紀元前ギリシャ喜劇で道化師が演じた「身振り手振り」が凛国イタリアに伝わり、次々と国境を越え独自の成長を遂げる。意外にも、パントマイムが集団劇の中から独立した分野として認識されるのは、二十世紀に入ってからである。フランスなどの国で世界的に著名なパントマイム研究者が登場してくる。パントマイムの神様と呼ばれたマルソー氏も、このような研究者の門下生の一人である。
パントマイムを言い換えると、無対象演技である。無対象の演技の魅力は何であろう。それは「無い」ことだ。演技者は「無い」ということを最大限に生かさねば、わざわざ沈黙する意味がない。物があるフリをして演じるだけのパントマイムなどを観客が見てもつまらない。
観客の想像力や心の侵入できる「芸」
例えば、紅茶を題材にしてマイムを演じろと言われる。カップもティーバッグも、まるで存在するフリをして演じるくらいなら、セリフを使った方が観客に親切だ。ティーバッグを擬人化してしまうのはどうだろう。「良い香りの中。安眠していると、突然引っ張られて熱湯の中。上下に振られ、息苦しい。やっと呼吸ができたとたん、ゴミ箱で、ズブ濡れ状態」。紅茶を題材に、演じ方によっては喜劇にも悲劇にもなる。勿論、容器の形を伝えるためには、パントマイムのテクニックを使わないと説得力に欠けるが。演技者も観客も、「無い」ということをどれだけ楽しめるのかが、この芸の醍醐味だと思う。
そんな私も以前はセリフ俳優で、パントマイムの存在など全く知らなかった。出合いは不遇時代に偶然目にした一枚のチラシだった。いくつかのセリフ劇団への入退団を経て、言葉というものに少し無力感を覚えて悩み始めていたころ。「ヨーロッパのフェスティバルで絶賛された世界でも珍しいパントマイム劇」と書かれたそのチラシに「何か」を感じ、興奮しながら舞台が開くのを待った。舞台中央の大きなトランク。まるで蛇のような動きの二本の手が出てくる。五本の指の表情によって、猥雑だったり滑稽だったり。自分の想像力を膨らませて物語を観察する。「あ、演劇なのに全くセリフがない」。このことに気付いたのはしばらくたってからだった。全身に鳥肌が立った。パントマイムって身体中で「喋る」ことなんだ、観客の想像力や心に、こんなにも侵入できる芸なんだ。三十路を目前にして、意を決してセリフ俳優からパントマイム俳優への転向を図った。今思うと、あのチラシのパントマイム劇が、自分と同じセリフ俳優を経てパントマイム俳優になった“あらい汎氏”の舞台であった偶然に心底感謝している。翌年から肉体改造の日々。二年間はほとんど全身筋肉痛だったが、信頼できる師と出会い、努力できることは本当に大切なことである。
能、狂言などは日本の伝統パントマイム
西欧では国立や州立の演劇大学があり、パントマイム学科なども存在する。学生たちは自動的に演劇とパントマイムが共存していることを知る。何とも羨ましい。日本の演劇大学でも、生きたパントマイム理論が導入されることを願い、自分で何ができるか模索中である。マルソー氏は、日本の能、狂言、日本舞踊のことを「日本の伝統的なパントマイム」と表現する。そして、「もっと伝統的パントマイムを盗め」と言う。確かにパントマイムは個人的な芸に陥りやすい。それに比べて能、狂言には非常に細かい型がある。パントマイムがパントマイムを越えるため、私は世界のパントマイムを吸収して行きたいと思っている。
今年、ポーランドにパントマイムの学校が設立された。同国内の演劇大学でパントマイム講師を務めるヨゼフ・マルコツキ氏が代表だ。現在ヨーロッパ中で、そのパントマイム理論が評価されている。大学の心理学部にも採用された理論だと聞く。来日時に五日間ほど指導を受けたが、とても演劇的で日本の舞踊からヒントを受けているようだった。一度、逆輸入をするためにポーランドへ行ってこようと思っている。
さとうゆみ・パントマイム俳優